48年ぶりにパリ五輪への自力での出場を決めたバスケットボール男子代表!
沖縄で開催されているワールドカップでは、劇的な逆転で3勝するという快挙に。
惜しくもグループリーグで勝つことはできませんでしたが、アジア1位となり五輪への切符をゲットしました。
大会を通じて、キーマンとなったのがジョシュホーキンソン選手。
日本へ帰化して日本代表として出場してくれました。
ジョシュホーキンソン選手が帰化した理由には結婚やイチローが関係している?と言われていますが、この記事ではジョシュホーキンソン選手の帰化した理由について調べてみました。
目次
1.ジョシュホーキンソンが嫁との結婚で帰化した噂はデマ!日本への純粋な思いに感動
ジョシュホーキンソン選手の帰化した理由についてチェックしていきましょう!
1-1.ジョシュホーキンソンが嫁との結婚で帰化した噂はデマ!
引用:インスタ
ジョシュホーキンソン選手を調べてみると、”結婚”というキーワードがでてきますが既婚者なのでしょうか?
結論からいうと、ジョシュホーキンソン選手に嫁や子供はいません!
ではなぜ、そのような噂がたったのでしょうか?
実はジョシュホーキンソン選手には兄弟が1人おり、妹のCarlynさんという方です。
カーリンさんは結婚しており、妹の結婚式に参加したときのインスタが、ジョシュホーキンソン選手本人の挙式と勘違いする人が多かったとのこと。
新郎がカーリンさんの兄弟とおもっちゃうと、ジョシュ選手が結婚相手と思っちゃいますねw
1-2.ジョシュホーキンソンの帰化した理由はイチローが関係している?
引用:インスタ
ジョシュホーキンソン選手はシアトル出身で野球選手でした。
シアトルいえばプロ野球チームのマリナーズがあり、ジョシュ選手はイチローさんの大ファン。
「イチローさんのおかげで日本にいいイメージを持っていた。直接的な理由ではないが、それも日本に来る後押しになった」と明かす。
引用:https://goetheweb.jp/person/article/20230831-josh-hawkinson?heading=3
さらに日本でバスケットをするきっかけとなったのも、イチロー選手が関係していました。
2019年に父親と一緒に、イチローさんの現役最後の引退試合を観戦したときの話がこちら。
ホーキンソンは憧れの存在の現役最後の雄姿を目に焼き付けようと、父と生観戦。偶然、隣の席に日本バスケットボール協会の東野智弥技術委員長が座った。
東野氏はアメリカでバスケ関連のビジネスを手がけるホーキンソンの父と面識があり、国籍を取得して日本代表を目指す選択肢があることを伝えた。
ホーキンソンは「自分はそこで国籍変更の話があったことは知らなかった。でもイチローさんの引退試合がスタートというのは運命を感じます」と実感を込める。
引用:https://goetheweb.jp/person/article/20230831-josh-hawkinson?heading=3
自分の人生の大きな決断をするときに、憧れている人が関わっていたとはなんとも感慨深いでしょうね。
1-3.ジョシュホーキンソンの帰化した理由は日本への恩返し
幼少期の頃から、イチロー選手に憧れて日本への印象も良かったジョシュ選手。
2023年2月に日本国籍を取得します。
その理由は日本への恩返ししたいという、純粋な気持ちのみでした。
「僕をここまで成長させてくれた人たちに恩返しをしたかった。ここまで成長できた自分を、彼らにも誇らしく思ってほしい」。
別の取材ではこう抱負を語っている。「帰化選手として、この日本代表の枠を争うことができるのは本当に光栄なこと。
もちろんその枠を自分が勝ち取りたいけれど、それ以上に『日本をもっともっと良いチームにしたい』という気持ちです」
引用:日本代表応援サイト
大型選手でスキルもある、ジョシュ選手はすぐに頭角を現し、彼の独特な技術を見たいがために、観客も増え人気者に。
性格も人懐っこいのがさらに彼の人気に拍車をかけました。
2.ジョシュホーキンソンの両親は元プロのバスケット選手
ジョシュ選手はバスケット一家に生まれ幼少の頃から、バスケットが生活の身近にある環境でした。
父のネルズさんは「Basketball Travelers Inc」というスポーツ観光代理店も運営しており、ビジネス面でも成功をおさめています!
3.ジョシュホーキンソンのプロフィール
引用:インスタ
- 名 前:ジョシュ・ホーキンソン
- 英 名:Josh HAWKINSON
- 出 身:アメリカ合衆国シアトル
- 出 身大学;ワシントン大学
- 身 長:208㎝
- 体 重:106㎏
- 生年月日:1995年6月23日
- 年 齢:28歳
- 所 属:サンロッカーズ渋谷
前述しましたが、ジョシュ選手は元々野球とバスケットボールの二刀流で、野球の方が得意でした。
16歳まで二刀流を続け、当時は最速150kgを投げる将来有望な右腕でしたが、右肘じん帯を損傷してしまい、バスケット1本で行くことを決意。
バスケットへ転向するやいなや、両親からの最強DNAもあり、一気に中心選手になります。
ワシントン大学時代にはパシフィック12カンファレンスのオールスターに選出されるほどの活躍もしました。
ジョシュ選手はスポーツだけでなく、博士号も取得しており学業面でも優秀な一面も。
パリ五輪では頭脳面もいかんなく発揮してほしいですね!
【合わせて読みたい】: